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 「出立」 / 川島椰丘

 新幹線のデッキに立って振り向き、俺はゴーキの顔を見る。丸顔の中で普段は愛嬌のある目を、今は力を込めた状態にして俺を見つめ返している。眉間に皺を寄せ口元を引き締めて、でも全体を見たら俺には泣いているか泣くのを我慢しているようにしか見えない。雪覆いの窓から漏れる午前の光が、鉄骨に囲まれた空間を明るく白っぽくさせている。

 思い返せば、俺の記憶にはほぼ常にゴーキが一緒だった。かれこれ十五年も家族ぐるみで付き合い、幼い頃からやんちゃして遊んだ。自転車に乗り始めたころには、不慣れなくせに熾烈な競走をして、溶けかけの雪に車輪を滑らせ側溝に落ちたこともある。  俺とゴーキが一番親しんだのがキャッチボールだった。ゴムボールや雪玉で始まったそれは、小学校入学と同時に地域の少年野球チームに入ったことで軟式球に変わった。練習を重ね家の前の道で遊ぶにつれて、お互いどんどん力が強くなり、どんどん投げられる距離も伸びていった。だが、まだへたくそなガキだった。力んで投げた球があらぬ方に飛んでいき、入ってしまったよその家の庭に侵入したことは非常に多い。加減知らずの俺の速球をゴーキが取り損ねて、近くにあった車に傷をつけたこともあった。その時は半月ほど軟式球を取り上げられたが、それで大人しくなるはずもないやんちゃな俺たちは、小さな石を芯に新聞紙でくるんで代わりにした。その風に煽られやすいものを相手に正確に投げるよう練習したおかげで、俺は球のスピードが増したし、ゴーキは多少逸れた球でも上手く捕球できるようになった。
 いつの頃からか、俺は投手一筋となっていき、ゴーキは野手を点々とした末に俺の球が受けたいと捕手に落ち着いた。中学のころにはバッテリーとして試合にも出た。とにかく速球で押すタイプの俺を、ゴーキは安定した捕球力で支えてくれた。だが、惜しい四球から走者に進まれ、焦った結果甘くなった球を打たれて失点、敗北を喫してしまった。その反省から、ただ速いだけでなくちゃんとカウントが取れるピッチングを心がけようと二人で相談しあった。速球は一時的に封じ、力を抜いた状態でコースに投げ分ける練習を繰り返した。配球の研究もしたし、球種の増加にも取り組んだ。その結果、体得したのがやや斜めに足元に落ちる変化球だった。左打者なら少し逃げつつ急激に落ちる球で、ゴーキでさえ捕り損ねることが少なくない。いつも右のレガーズに当てて前に落とすことで、後ろに逸らさず済ますようにしていた。申し訳なくはあるがゴーキならそうしてでも俺の球を受けてくれると安心と信頼を寄せていたし、何より相手には効果覿面だったから、試合でも積極的に用いた。変化球を得ると速球とのメリハリも利いてきて、中二のときには県大会準優勝や地方大会ベスト8入りに一役買うことができた。
 その後、俺のもとにスカウトの連絡が来るようになった。速球と変化球を使い分ける才能に伸びしろを感じたなどとして、地元の私立校から地方有数の強豪校まで、数校から電話が入り人が来た。親やコーチに是非にと勧められ、仲間からも煽てられ、ついに全寮制の強豪校に進むこととなった。先日にはコーチや仲間たちが送別会を開いてくれ、盛大に出立を祝ってくれた。ゴーキなど主賓の俺よりも食い物に手をつけていて、俺に供されるという本末転倒を起こして笑いものになっていた。

 そして今日、俺は寮に入るために新幹線で地元を発つ。手続きがあるとかで同行する母親はもう座席にいるだろう。一人ゴーキが見送りにやってきて、新幹線の内と外で互いに見つめあい黙り込んでいる。いつもは剽軽なところがあって場の盛り上げ役になることが多いゴーキは表情筋の引き締めに躍起になり、それを可笑しいと認めながら微苦笑さえ漏れ出す様子のない俺に俺は不可解を思った、同時にそれも当然だと思っていた。ゴーキは両手をウィンドブレーカーのポケットに突っ込み、俺はキャリーケースの取っ手を右手で握っている。風が思いがけず強く吹く風洞状の空間では、光の中で煌く塵は一瞬で飛ばされて見られなくなる。その中にあってゴーキの短く刈った髪や俺が手に持つダウンコートは揺るぎさえしない。
 まもなく出発時刻となります、駅員がうるさく言い出す。そのうるささは四方を囲んだ雪覆いやプラットホームに反響しているせいでもあった。内容以上にそのこだまばかりが耳に騒がしかった。二人の沈黙はなおも深い。互いに互いを見つめあい、この別離の瞬間に適した台詞を探っている。たった一言で、俺たちの真情を表すものを求めている。あるいは、言葉は既に決まっていてそれを口頭に表する時を計っている。さながら九回裏の二死満塁で敵の強打者をフルカウントにした時の心持ちに似ている。
 そして、アナウンスの一瞬の切れ目に、ゴーキは「おい」とぞんざいに口を開いた。
「なんだ」俺の口調も自然とぶっきらぼうになる。

「もう、帰ってくんなよ」

「当たり前だ。俺は、片道の切符しか持ってない」

 それを聞いたゴーキは、ついと反転した。そして俺に背を見せしばらく佇んだあと、何も言わず手も振らずに去っていった。俺はその背中を歯噛みして見送る。自然と右手に力が入る。
 十五年も一緒にいて、二人で高みを目指し、ともに切磋琢磨してきた仲だ。俺もゴーキも互いの気持ちは知りすぎなくらい知っている。――とてつもなく辛く、堪らないくらい悔しいのだ。世間的には栄転の体をして地元を離れる俺は、ゴーキを見限るようでとてつもなく辛い。ゴーキにしてみればともに成長した友人の片割れだけが認められ、置いてきぼりになることが堪らないくらい悔しい。それも、二人で話し合ったりしたものではなく、半ば周囲からの期待という強請を受けて流れに押されるまま決してしまったことなのだ。ガキでしかない自分たちの弱さを知らしめられて、それもまた辛く悔しく、やるせない。
 目の前で閉まったドア、そのガラスを俺は拳で殴りつける。それで自分の感情にケリがつくわけでもなく、そしてガラスはビクともしない。無情にも新幹線は動きだす。きっと、俺も、泣きそうな顔をしている。

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